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北見国(きたみのくに)は、明治維新のころにおかれた

北見国(きたみのくに)は、明治維新のころにおかれた日本の地方区分の国の一つである。「北見」の名は、過去のこの地域の通称「北海岸」と快晴の日に樺太が「見」える事から、一字ずつをとって松浦武四郎が命名したもの。道北から道東にかけて位置し、領域は現在の北海道網走支庁及び宗谷支庁のうち豊富町をのぞいた部分にあたる。設置当初は釧路国の網尻郡(現在の網走支庁のうち美幌町と津別町にあたる部分と大空町の一部)は含まれなかった。

飛鳥時代の斉明天皇のころ阿倍比羅夫が道南で戦った粛慎は、当時樺太や北見国域を中心に栄えたオホーツク文化圏に属する人たちとの説がある。代表的な遺跡であるモヨロ貝塚の他、常呂遺跡も存在する。オホーツク文化は平安時代前期ころ道北にまで進出した擦文文化によって樺太と切り離されたのち、北見国域中部以南では擦文文化の影響を強く受けたトビニタイ文化へと移行し鎌倉時代ころまで続いた。

鎌倉時代後期にさしかかるころ、当時は仏教の布教が盛んで北海道にも僧がわたったと言われており、永仁年間に北見国域から日蓮宗の僧・日持上人が布教のため樺太に渡っている。その二年後には津軽の蝦夷管領・安東氏が骨嵬(樺太アイヌ)を率いて元と戦っている。

江戸時代に入ると、松前藩によって開かれた場所と呼ばれる知行地で松前藩家臣と蝦夷(アイヌ)との交易が行われた。場所に関する制度の詳細は商場(場所)知行制および場所請負制の項を参照せよ。場所と後に置かれた郡の対応は下記のとおりである。

リイシリ場所・・・後の利尻郡、礼文郡
ソウヤ場所・・・後の宗谷郡、枝幸郡
モンベツ場所・・・後の紋別郡、常呂郡
アバシリ場所・・・後の網走郡
シャリ場所・・・後の斜里郡
※この他、樺太にもシラヌシ場所などが開かれていた。
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江戸時代後期になると北見国域は西蝦夷地に属した。文化3年9月、ロシアが樺太の久春古丹(後の大泊町楠渓)に上陸して運上屋を攻撃・略奪・放火する事件が発生。翌文化4年にはロシアによる樺太の留多加と利尻島を攻撃・略奪、礼文島近海の日本船を襲撃する事件が起き、商船が焼き払われ島民が拉致されるなどの被害が出た。これらロシアが攻撃・略奪・放火する一連の事件(文化露寇、フヴォストフ事件)の発生など、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備えるため蝦夷地は天領(幕府直轄地)とされ、会津藩が利尻・宗谷・樺太の警固を命じられる。文化5年には松田伝十郎と間宮林蔵が樺太探検、間宮海峡を発見し樺太が島であることを確認。松田伝十郎が樺太最西端ラッカ岬(北緯52度)に「大日本国国境」の国境標を建てている。その翌年は間宮林蔵が単身で渡樺、間宮海峡対岸の黒竜江下流を調査した。文化6年それまで西蝦夷地の一部であった樺太の呼称を北蝦夷地とし、この年以降樺太(シラヌシ、ルウタカ、クシュンコタン)と北見国域(ソウヤ、シャリ)は津軽藩が出張陣屋を築き警固に当たった。この時、シャリで越冬時に多数犠牲者を出した津軽藩士殉難事件がおこっている。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり今度は秋田藩が枝幸郡域以北のソウヤ及び樺太のシラヌシとクシュンコタンに出張陣屋を築き、会津藩が紋別郡域以南の警固を行った。また、安政3?4年ころ知床半島(斜里郡域)にある硫黄山が噴火している。慶応元年岡本監輔が、樺太最北端ガオト岬(北緯55度)に、「大日本領」と記した標柱を建てる。

その他、北見温泉や温根湯温泉などが古くから知られている。

明治2年(1869年)8月15日に北見国が置かれた。
明治14年(1881年)7月に、釧路国の網尻郡を北見国の網走郡に合して編入した。
明治15年(1882年)2月8日、廃使置県にともない利尻・礼文・宗谷・枝幸の4郡は札幌県の、紋別・常呂・網走・斜里の4郡は根室県の所管となる。
なお、樺太は明治初頭に喪失する前も日露戦争後の南樺太主権回復後(?1945年)も、北見国や千島国他に編入されていない。

神社・一宮 [編集]
享保年間創建の北見冨士神社、天明5年創建の北門神社、寛政8年創建の斜里神社などがある。その他、渡樺する者が参拝奉納した宗谷郡の厳島神社は天明2年にはすでに存在し樺太・大泊にも分社があった。

利尻郡 北見冨士神社(利尻郡利尻町)
宗谷郡 宗谷大神宮  (現北門神社、稚内市)
宗谷郡 厳島神社   (稚内市)
網走郡 網走神社   (網走市)
斜里郡 斜里神社   (斜里郡斜里町)
網走神社は、文化9年(1812年)、漁場の鎮守とするため近江出身の藤野四郎兵衛により網走川の河口に作られた弁財天を祀る小祠が起源と伝わり、北見国一宮と称されている。

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2009年06月05日 09:59に投稿されたエントリーのページです。

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